ほたるBBの 絵と 本と 雑感日記

60代後半に再開したお絵描きと、読書の備忘録。考えさせられたことなども綴ります。

原因を断定できない病気の治療の難しさ

息子が3歳の時のこと。突然の湿疹と高熱で病院にかかっていたが、1週間
目に総合病院に入院となり、退院まで1カ月かかった。

 

目が充血し唇も赤かった為最初は川崎病を疑われ、次に猩紅熱を疑われたが、
原因を断定できないまま、治療は試行錯誤。退院時の説明では溶連菌感染症
と言われた。

 

熱のピークは42℃でそれは1週間続いた。その後も退院の1週間前まで
39℃前後の熱が続き、全身に出来た発疹はやがて赤いインクを塗ったよう
になり、特に顔が酷かった。

 

他にも全身のリンパの腫れ・頭痛・腹痛・体中の痒みがあり、だるいのが
辛くて、「痛いよう、きついよう。」と言いながら、ずっと泣き声のような
溜息が止まらない。人の匂いも臭いと言って嫌がった。

 

特に酷かったのが肝臓・胆のう・脾臓で、入院20日目頃に「殆ど大人と同じ大
きさにまで腫れ上がってます。」と言われ、体も黄色くなっていた。
1日に小指程の量も食べられず、3週間は点滴で生きていたようなもの。
やせ細って体の肉は無くなり、膝は象の皮のようになって、皮膚のたるんだ
お尻には横皺が何本も出来た。

 

やっと回復に向かい出すと、今度は全身の皮がボロボロと剥け、担当医が
「〇君、脱皮しとるやん。」とからかい、息子は以前と同じヤンチャな顔で笑
った。内臓はまだ完治していなかったが、取り敢えずは退院の許可が出て、そ
の後暫く病院通いを続けた。

 

それから数十年経った日のこと。私は偶然ネットである薬の副作用を読み、思わ
ず「あっ!」と声を上げた。それはあの時担当医から、息子の治療のために多量
投与してると聞かされた薬で、あれほど息子を苦しめた症状と全く同じだった。

退院後は、体格も体力も人一倍逞しく育った息子。あの時の担当医には今も
感謝しかないが、考え込んでしまった。