今から20年程前のこと。三男が、アルバイト先の倉庫で見つけた5匹のネズミ
の子を持って帰って来た。母ネズミは見当たらなかったと言う。
子ネズミはまだ目も開いておらず、生きてはいるが横たわったまま動かない。
猫でさえ産まれたての子を育てるのは難しいのに、相手は小さなネズミだ。
どうすることも出来ずにいるうちに、翌日その又翌日と順番に死んでいき、
最後の子は3日間生きた。
死ぬのをじっと待っているだけの状態は、思った以上にキツかった。
一思いに死なせてあげるべきかとも思ったが、どうしても出来なかった。
私は息子に、ネズミの子は二度と連れて帰ってくれるなと言った。
安楽死については色々な意見があり、日本ではペットの安楽死を勧める獣医は少
なく、飼主も又「何と助けてあげたい、それが駄目ならせめて苦痛を取り除くた
めの治療を。」と望む人が多い。
反対に欧米では、重篤な病気にかかったペットには安楽死を選ぶ人が多く、それ
は動物の苦痛を取り除くための医療行為と考えられているのだとか。
以前映画で、可愛がっていた飼犬を病院で安楽死させて連れ帰るシーンを見たこ
とがあるが、まだ普通に暮らせる犬に「苦しませるのは可哀そう。これがこの子
のため。」というセリフには、正直言って違和感を覚えた。
その理由として、仏教とキリスト教の死生観の違いを挙げる人もいるが、もし
相手が自分にとって大切な人だったら、絶対にそんな決断はしないだろう。
つまり、現実問題として「ペットの治療に大金はかけられない」「生活や心を乱さ
れるのは困る」という思いが根底にあることは否めず、欧米でもそういったある
種ドライな選択に異を唱える向きもあるという。
自分が不治の病と分かった時にどうしたいか…と考えると分かり易いかも知れな
い。まだご飯が食べられて、苦しみにのたうち回っているわけでもないのに安楽
死を勧められたら、そこに“愛”を感じる人はいない筈だ。
一度だけ愛犬を安楽死させたことがある、という人の話を聞いたことがある。
何日も激しい苦しみに耐えていた子が、診察室で自分の腕の中で息絶えた時は、
涙が止まらなかったという。それ以上深くは聞けなかったが、彼女はきっとその
後も「やっと楽になれたね」という気持ちと、「本当にこれで良かったのだろうか」
という気持ちで揺れ動いていたと思う。
最後に。それでも、ペットの為にやむを得ず安楽死を決断する時は、どんな方法
でどんな薬が使われるのか、獣医さんからしっかりと説明を受けることと、最期
まで見守る覚悟を持って臨んでほしいと思う。
(中には筋弛緩剤を使用する医者もいるので、「お任せします」は駄目。)