1985年に、交通事故で大怪我を負った10歳の少年が、エホバの証人の信者
である両親が輸血を拒否したために亡くなった事件は衝撃だった。
この事件の15年ほど前、20歳を過ぎたばかりの頃に、エホバの信者である
Eさん(女性)から熱心に信仰を勧められたことがあった。
いい機会なので、私は小説を読むようにして新・旧約聖書を通読してみた。
当たり前だが、ストーリーも系図もちゃんと繋がっていることに感心した。
しかし解説なしで読んだせいか、逆に、私は信者にはなれないなと思った。
Eさんにそのことを告げたら、「あなたはいったい、聖書の何を読んだの?!」
と、キレながら馬鹿にされた。
エホバの証人がキリスト協会からは異端とみなされ、彼らの読む聖書も、私が
本屋で買ったのとは別ものだと知ったのは、そのずっと後のことだった。
輸血拒否の少年が亡くなった20数年後、同じように我が子への輸血を拒んだ
親に、裁判所が一時的に親権停止を認めて救命されるということがあった。
しかし彼らに限らず、世間では信仰による“医療ネグレクト”は結構起きて
いて、表に出るのは氷山の一角だという。
自分の信仰する宗教の教理が、命に関わるほど一般常識とかけ離れている場合、
鵜呑みしていいのかと疑問を持つのは不遜でも何でもなく、とても大事なことだ。
神さまはそれで怒るほど小さくはないし、それはその宗派の教祖の誤った解釈
である場合が殆どなのだから。