ほたるBBの 絵と 本と 雑感日記

60代後半に再開したお絵描きと、読書の備忘録。考えさせられたことなども綴ります。

親の長生き子の不幸

子供の頃、母が泊りがけで秋田の実家に出かけた時などに、何回か私達の食事の

世話をしに来てくれた親戚のお婆ちゃん(Fさん)。

 

小学生の私が買い物に付いて行った時、Fさんが売り物のイチゴを1個つまんで

ヒョイと口にいれた。私が「あ、泥棒した!」と思って目を丸くして見つめてい

るのに、Fさんは何事も無かったかのようにすました顔で買い物を続けていた。

 

私は、優しくてどこか茶目っ気のあるそんなFさんが好きで、後に彼女が病気で

臥せっていると聞いた時は、母に付いて一緒に見舞いに行った。

 

F家は大家族だが長男の奥さん以外は皆出払っていて、Fさんは2階の狭くて薄暗

い部屋に敷かれた布団に1人で寝ていた。

母が声を掛けると弱々しい声で「早くお迎えが来てほしい。」と言い、それに対

して母は「そんなこと言わないで、元気にならなきゃ駄目だよ。」と優しく応え

ていた。

 

帰り道で母が、少し考え込むような感じで呟いた。

「おばちゃん、後妻なんだ…。」もしかしたらFさんは病気の辛さだけではなく、

生さぬ仲の家族に寂しさを感じていたのかも知れない。

 

昔は「いつまでもあると思うな親と金」と言われたものだが、最近は「親の長生

き子の不幸」と言うらしい。

年老いた親の病は、心配な上に子供にそれなりの労力と時間とお金を使わせる。

それが何年も続いたら、たとえ血の繋がった親子でも「この生活はいつ迄続くの

か…。」と絶望的な気持ちになるのは無理もない。

 

しかし老人の側も、「長生きし過ぎるのは嫌だ」と思っている人が殆どだ。

病気やお金だけの問題ではない。子や孫の死に直面する確率が高くなるからだ。

 

何度か逆縁の葬儀に参列したことがあるが、とても言葉など掛けられなかった。

私の両親は平均寿命より20年も早く亡くなっており、もっと長生きしてほしいと

思っていたが、兄が亡くなった時だけは、両親に逆縁の苦しみを味わわせること

にならなくて良かった…と思ったのを憶えている。

 

ところで後期高齢者の中には「あの世からのお迎えの心の準備は出来ている。」

と言う人は結構多いらしい。但しその後に「だがそれは今ではない」という言葉

が続くらしいが…(笑)。

 

かく言う私も同じで、老いて尚成し遂げたい何かがあるわけでは無いが、せめ

て身の回りのガラクタを最小限にしてから旅立ちたい。