今から5年前(2018年)、母親から医学部受験を強制された女性が、9年も
浪人した果てに母親を殺して遺体を損壊遺棄するという事件があった。
先日この事件を扱った『母という呪縛 娘という牢獄』という本が出版され、
その紹介文を読みながら改めて教育虐待について考えた。
教育虐待とは、子どもに度を超えた勉強や習い事を強要してがんじがらめにし、
思い通りの結果が出ないと激しく叱責、あるいは暴力をふるったりすること。
現在、大学・短大の進学率は約60%で、教育熱心な親は年々増加傾向にある
と言われる。だが教育熱心とまでいかなくとも、親であれば子供の教育に心
を砕くのは当たり前のこと。それが何故間違った方向に進んでしまうのだろう。
この疑問に対する納得のいく言葉がある。
「教育熱心な親は『子どもの幸せ』を望んでいるのに対し、教育虐待をする親
は『親としての成功』を望んでいる。」
教育虐待をする親を大きく分けると2つのタイプがあり、一つは高学歴の親に
よる過剰な期待、もう一つは自分の学歴に強いコンプレックスがある場合。
虐待ではないが、こだわり過ぎてゆがみを感じる人は私の周りにもいた。
例えば趣味仲間だったDさん。教育費をかけてきた娘さんが、いわゆる一流
大学には進学できなかったことを「みっともなくて親戚には言えない」と話し
ていた。
反対のケースは知人の高齢男性Gさん。尋常小学校卒でずっと平社員だったが、
息子さんは旧帝大卒。Gさんはそんな息子が自慢で、 (今風に言い換えると)「会
社で出世した高学歴の同僚達よりも、自分の方が“勝ち組”」と笑っていた。
話を戻すが、教育虐待を受けた子は回復できない程の傷を抱えてしまい、大人
になっても無気力・ウツ・引きこもりなどから抜け出せずにいる場合が多いと
いう。中には家庭内暴力を振るうようになる人もいるとか。
ただ、教育熱心な親の元で育った人の中には、「子供の時は嫌々やってたけ
ど、忙しい親が自分の為に時間を割いて向き合ってくれたことに、今は感謝
している。」と話す人も結構多いそうで、この場合教育虐待とは一線を画す。
いずれにせよ親として忘れてならないのは、教育は子供の為であるということ。
また子供側も悩み事は1人で抱え込まず、ある程度の年齢に達したら
「きっと自分の力で乗り越えてみせる」という気概を持つことが大切だ。