30年程前、有名紳士服店に買物に行った時のことだ。
誰もいないレジカウンターに品物を置くと、店員の女性が「スミマセン」と言
いながら急いでやって来て、レジの前に立った。
それとほぼ同時に長身の若い男性が来て、不機嫌な顔で彼女を肘で小突いて脇
に追いやり、代わりにレジ打ちを始めた。
驚いて思わず男性の顔を見ると、ファッション誌で見たことのある人気モデルだ
った。そんな人が何故レジ打ちを?と眺めている内に会計は終わり、彼は満面の
笑みで「有難うございました(*^^*)。」と言って小首を傾けた。
その芝居がかった態度に私が感じたのは、「裏表の激しそうな人」…だ。
ある分野において生まれながらに秀でているものを持っている子が、幼少時から
ちやほやされて育つと、ワガママで不遜な人間になることがある。
その才能なり美貌なりを生かして成功を勝ち得た人が、鼻持ちならない人間にな
ったという話も珍しくない。
ところで(美貌の話は置いて)誰でも得意な分野には没頭できるもので、はたから
見れば試練と思えるようなキツいことでも、さほど苦を感じていなかったりする。
つまり成功した“才のある人”は好きな事を楽しんでいるだけのように見えて、
実は彼らなりのやり方で努力し、結果を出しているというわけだ。
それとは反対に、世の中には人一倍頑張っているのに芽の出ない人も大勢いて、
そんな人達のことを「結局は努力不足なんですよ。」と冷たく語る成功者がいた。
まあ誰にも多少は傲慢な部分があるものだが、成功者(の一部)に人間的な底の浅
さを感じることがあるのは、優秀な遺伝子を授かったことへの感謝よりも優越感
の方が勝っているからだろう。
どんな世界でも、下の立場にいるからこそ相手のことがハッキリと見える…とい
うことはあり、しかし面と向かって余計なことを言う人はまず居ない。
だからこそ組織の上に立つ人は、自分の高い能力や実績に誇りを持っていても、
決して驕ることなく、精神修養に努める必要があるのだろう。