先日(23.3月)群馬県の日本語学校が、学費の支払いを巡って一部のウクライナ
避難民の学生とトラブルになり、理事長が彼らを「難民貴族」と発言。直後に
県から行政指導を受け、退任するという出来事があった。
日本国民の多くがウクライナ避難民を支援している。しかし他国からの難民は
殆ど受け入れを拒否してきた政府が、「ウクライナの人々は“避難民”であって
“難民”ではない。」と言って特例扱いをすることに疑問を呈する人達もいる。
尤もその多くは、今迄の差別的な難民政策の改善を願っての発言のようだが。
日常生活の中でも、時々「これは差別ではなく区別だ。」といった意味のことを
言う人がいる。しかし区別も度が過ぎると差別になり、人権に関わってくる。
“区別”とは、違いや種類・立場などによって分けて扱うこと。対して
“差別”とは、偏見によって不当に低く取り扱うことと説明されている。
差別で代表的なものとしては、終わりの見えない世界規模の人種差別と種差別。
私達の身近にあるものとしては、貧富、職業、学歴、出自による差別。その他、
障害者差別、性的少数者差別など、数え上げればキリがない。
ここ数年は、新型コロナの治療にあたっている医療従事者やその家族に対して、
一部いわれの無い偏見や差別があったことが記憶に新しい。
2015年に国連サミットで、『SDGs』(持続可能な開発目標)が採択された。
解説には「世界で起こる様々な問題に対して、2030年までに達成するべき17
の世界的目標と169の達成基準」が示されていて、「ターゲットを定めて問題
解決のための取り組みを行う。」と書かれている。
17の目標の内容は「1.貧困をなくそう」に始まり、飢餓・教育・ジェンダー
・海陸の豊かさ…等、多岐にわたっている。
私が特に気になったのは「16.平和と公正を全ての人に」だが、他の人達も指摘
しているように、目標が壮大過ぎて具体性が無いため今一つピンと来ない。
実際SDGsがどんな風に進んでいるかというと、新型コロナの世界的流行で目標
の殆どの取り組みが減退し、達成は困難な状態だという。
実現は想像以上に厳しいようだが、牛歩でも諦めずに続けてほしいと思う。