今から37年前、本州と北海道を結ぶ“鉄道専用青函トンネル”の開通と同時に、80
年続いた青函連絡船(複数隻)の運航が終了した。
石川さゆりのヒット曲“津軽海峡・冬景色”で有名なこの連絡船には、私も55年前
まだ独身の時に、1度だけ乗ったことがある。当時若い女性の1人旅は珍しく、料金
の安い大部屋のような船室で、知らない人達に色々話しかけられて楽しく会話した
のも懐かしい。
タイタニック号や韓国のセウォル号など世界的に有名な海難事故は色々あるが、青
函トンネルの建設計画を加速させるきっかけとなった、“洞爺丸沈没事故”のことを
知っている若い人は、どれくらいいるだろう。
これは1954年に起きた、日本海難事故史上最悪と言われる事故で、1155名もの人
が亡くなっている。(この時貨物船も何隻か沈没している)
私には青函連絡船と聞いて思い出すことが、上記の乗船経験の他にもう1つある。
洞爺丸事故の翌年の事。両親が用事で末の妹(2才)を連れて外出し、食堂で食事
をしていたところ、突然見知らぬ男性客が妹にお菓子を買ってくれたそうだ。
両親が驚いていると、その人は洞爺丸の沈没事故で妻子を亡くしたそうで、「娘さ
んを見ていたら…。」と言ってその場を去ったという。帰宅後の両親のその会話と
表情が、子供心にも切なかったのを今でも憶えている。
3年前(2022年)、悪天候により“知床遊覧船沈没事故”が起き、乗客・乗員合わせ
て26名全員が死亡・行方不明となった。
現在、刑事と民事の2つの裁判が進行中で、先日(11/12日)運航会社社長の業務
上過失致死罪を問う刑事裁判の初公判が開かれた。
判決は来年6月に言い渡される予定だが、社長は「船長が悪天候になる前に引き返
すと言ったので問題ないと思った。私には罪が成立するか分からない」と述べ、弁
護側は「沈没原因とされる船首甲板部ハッチが閉まらない不具合について、国の検
査代行機関が見過ごしていた。」などと指摘、無罪を主張した。
災害や事故で突然家族を亡くした遺族は、ショックで外出もままならなくなり、
病気になる人、仕事が出来なくなる人などその影響は計り知れず、時が止まった
ままずっと心身の辛さを抱え続けると言われる。
今回は、そこへ追い打ちをかけるような “無罪”の主張。裁判に至るまでの諸々を
読むに、被害者家族の「被告は責任を他人に押し付けて全く反省していない。」
という憤りは当然と感じる。しかし、操船していない経営者の罪が問われるのは
異例だそうで、裁判結果が注視されている。
この事故は他の観光船を運営する会社にまで被害が及んでおり、知床の観光船事業
から撤退した別の会社社長のインタビューでは、胸に詰まる思いが強く伝わってき
た。ちなみに他の同業数社は “より厳格な安全運行に関するルール” を自主的に設
けて、運航を再開しているそうだ。
冒頭の青函連絡船に関しては、鉄道による連絡船は終了したが、現在は目的別に何
隻ものフェリーが運航されており、ネットで遊覧船が高い人気を得ている様子が伺
える。