ほたるBBの 絵と 本と 雑感日記

60代後半に再開したお絵描きと、読書の備忘録。考えさせられたことなども綴ります。

読書感想『安楽死が合法の国で起こっていること』(児玉真美)

[内容]

安楽死先進国の実状とそれまでの経緯、問題点、今後についての考察。

[感想]

著者は、一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事

 

本書の帯に、こんな衝撃的な文章が並んでいる。

「末期とはいえない患者に安楽死を提案する医療職」

「福祉サービスが受けられず安楽死を選択する障害者」

安楽死の数分後に臓器を摘出」

 

安楽死者は世界的に増加しており、スイスのように外国人を受け入れる国もある中

で、対象者の拡大や安楽死を緩和ケアと混同する“滑り坂”が起きているという。

※滑り坂=いちど足を踏み出したら、最悪の事態へとどんどん滑り落ちて行くこと。

 

著者は安楽死には反対の立場で、主にオランダ・ベルギー・カナダなどの事例を基

に、安楽死先進国がどのように“死ぬ権利”の幅を広げてきたか、それに伴ってどの

ような問題が発生しているかを具体的に解説。

 

以下は、上記の“帯”に書かれた以外に起きている問題の一部。

 

「生命維持が無益な医療として一方的に中止される」 「子供への安楽死の拡大」 

「非自発的な安楽死を強いられる」 「医師による自殺ほう助」

 

著者は、認知症の人、子供、精神/発達/知的障害のある人は“本人の自己決定”が困

難で教唆や誘導の影響を受けやすいことを挙げ、「表向きの理由は “治療が本人に

苦痛を強いている”としているが、その実 “厄介な人を社会から排除する安直で最

も安価な題解決策”として、安楽死が選ばれてはいないか。」…と疑問を呈する。

 

“無益な治療”と言われた人のケースも、多数紹介されている。

「この人へのこの医療にかかるコストを他に回せば、もっと多くの命を救うことが

出来る。」…これはつまり、目の前の彼は延命コストに値しないということで、著

者はこういった考えは “対象がいくらでも広げられていく” と危惧している。

 

安楽死後の臓器提供に関しても深刻な問題が起きており、より新鮮な臓器をより多

く入手するために、死の定義がどんどん早まる傾向が見られるという。

 

安楽死は、不足しがちな移植臓器を新鮮でクオリティの高い状況で効率的に採取

できる稀有な状況に他ならない。」「重い障害のために自分の意思を表明出来ない

人達は、今や “有望な臓器ドナープール” と目されている。」…これは移植臓器の

出所に疑問を持たれている某国と、根っこは同じということか。

 

後半では、重い障害を持つ子の親でありケアラーである著者の体験を基に、医療関

係者への厳しい意見と、患者やその家族に対する“共感”の必要性が語られている。

詳細は割愛するが、著者が「日本では医師の権威主義が根深い」と言わざるを得な

い内容で、正直そうだろうなと思った。

 

私自身は、“死に至る耐え難い苦しみ”の人が安楽死を望む時は、許されるならそう

してあげたいと思う。しかし以下の著者のこの言葉は、医療者でなくともよく考え

る必要がありそうだ。

 

「日本にも素朴な善意から安楽死を合法化すべきと考える人達が沢山いるが、安楽

死の可否を議論する前に、終末期の人の苦しみに対して何ができるかという医療本

来のあり方へと問いを設定し直すべき。」「『死なせてあげる』よりも手前のとこ

ろで、できること、すべきことがまだ沢山あるはずだ。」