私が高校生の時、近所の小さなお店で事務の仕事をしていた20代後半の女性。
清潔感のある綺麗な人で、時々言葉を交わすうちに彼女がカトリック教徒である
ことが分かり、私が興味を持ったことで日曜のミサに連れてってくれた。
神父さんは若いアメリカ人で、日本語が得意ではないらしく、講話は聖書を10分
程読みあげただけ。その後の説教は無く、退屈だったのでそれ1回きりで行くの
はやめた。
その後少しして彼女がお店を辞めたことを知り、母に聞いたところ「教会の尼さん
になるそうだよ。」と言われて驚いた。更にあの時の神父さんが、信者の 日本人女
性と駆け落ちして行方知れずになっていると知り、神父なのに?…と仰天した。
つい先日『スポットライト世紀のスクープ』という映画を観た。
カトリックの司祭達による児童への性的虐待を、組織ぐるみで隠蔽していたスキャ
ンダルを暴いた実話で、アカデミー賞他数々の賞を受賞している。
被害者の多くは男児で、驚くのは教会の隠蔽体質と加害者・被害者の数の多さだ。
実はアメリカだけではなく、世界各地のカトリック教会で同様の疑惑が指摘されて
いるという。
ネットで調べたところ、カトリック神父の独身制については「遺産相続問題を回避
し、教会の財産を保護する為に、1139年の会議によって決められたもの。」とあり
(他にも色々な理由がある)、最近の教会内部の人間によるこんな意見もみられた。
「セクシャリティは人間性の一部。聖職者の強制的な独身制度は廃止すべき。」
「(教会内に)独身制と男性だけの世界に惹かれる人々がいることは事実だ。」
カトリックの総本山バチカンには、昔から2つの顔があると言われている。
中でもマネーロンダリングと、同じ反ユダヤ主義としてナチスへの協力は有名だ。
こうしてみると未成年者への虐待と隠蔽も、不思議は無いのかも知れない。
翻って日本の仏教を見ると、在家の僧侶は殆どが妻子持ちで「妻帯の身で仏道を
極めることが出来るのか」「日本のお寺さんは葬式仏教」などという意見もある。
求道者としてストイックに修行する人のことは純粋に凄いと思うし尊敬もするが、
私としては、少なくとも俗世から離れて暮らす僧侶に、生き方の相談をしようと
は思わない。
「百考は一行にしかず」「100冊の本より一度の体験」で、(生意気言うようだが)
仏教の教えは実社会でもまれてこそ深く理解できると思っている。