[内容]
第二次大戦後シベリアに抑留された元日本兵に、当時の悲惨な生活を聞き取りし
たもの。 副題『未完の悲劇』
[感想]
敗戦直後に、旧・満州国から約60万人の軍人と民間人がソ連各地に連行された。
他国からの連行者も多数おり、その合計は417万人にも上ったという。
抑留の目的は、開発と戦後復興の労働力を確保するためで、ソ連要人の証言によ
ると、それは参戦前から決まっていたことだったという。その後関東軍首脳が国
民を労力として差し出したという、驚きの内容の文書も発見されている。
軍の将校や政府の高官・満鉄の幹部は、敗戦になった途端に住民を置き去りにし
て、真っ先に満州から日本に逃げ帰っている。残された人々のその後の地獄を思
うと、これが日本の上層部の本性なのかと…読んでいて暗澹とした気持ちになる。
抑留者はまず最初に自分達が暮らす収容所を作らされ、抑留生活は飢餓・重労働
・極寒の三重苦で、飢えや赤痢などの病気で約6万人が死亡。
死者は1年目の最初の冬に集中しており、翌年には環境が少しだけ改善されたが、
収容所は独立採算制で収容者たちが働いた賃金によって運営されていた為、尚一
層過酷なノルマ、労働を強いられていった。
仕事には様々なものがあったが、特に金属鉱産と炭鉱労働は過酷だったという。
飢えのために、虫や蛇、猫など目についたものは何でも食べ、倉庫から食べ物を盗
もうとしてソ連兵に射殺された人も少なくないとか。
ロシア兵からの虐待、食料のピンハネの他、抑留後も日本軍隊そのままの上下関係
が続き、虐め、リンチ、物品の奪い合いなど、日本人同士の争いも絶えず、自殺や
自傷の他、脱走を試みる者も少なくなかったが殆ど銃殺されたそうだ。
逃げ場のない生活は過酷で、この後も身内でなくとも聞くに堪えない話が続く。
ソ連の思想教育は徹底していて、その為に「日本新聞」が創刊された。中身は勿論
ソ連の宣伝のための機関紙だ。元々共産主義だった人間は幅をきかせていたという。
日本への引き上げは、1946~1956年の間の2期に分かれる。
ようやく日本の土を踏んでも、帰還後は“アカ”と差別されることもあった。
本書後半では、帰還者による保障と賠償の提訴が相次いで敗訴したこと、国に
よって「平和祈念事業特別基金」が設立されたこと、他に遺骨収集などについて
頁が割かれている。
本書のラストの章に書かれていた、帰還者の男性がうめくように言ったという次
の言葉は、胸に刺さった。「うまく立ち回って重労働を逃れた‐(略)‐我々生き残
った者はね、加害者なんですよ。」
皆が皆そうだったとは思わないが、同胞も蹴落とさなければ生き残れない極限状
態であったことは、想像に難くない。
近年、世界のあちこちできな臭さが増している。国民の多くが危機感を抱いてい
るが、果たして日本は大丈夫なのだろうか。