“貧乏舌”の意味を調べると「何を食べても美味しいと感じる人」とある。
これは誉め言葉ではなく、「味覚が鈍感で高級料理の良さが分からず、安物で
満足できる人。」という意味らしい。そのためか世間では、好き嫌い無く何で
も喜んで食べる人のことを、少し憐れむように馬鹿にする向きがある。
しかし食べ物を選り好みする理由が只の好き嫌いだったり、逆に何でも喜んで
食べるのは小さい時からの躾や、感謝の心の表れであることも珍しくない。
1993年に、冷夏によるお米の不作で国産のお米が足りなくなり、国が急きょ
タイ米を輸入したことがあった。(「平成の米騒動」と言われている)
タイ米は粒が細長く粘り気が無いのが特徴で、チャーハンやピラフなどに適し
ているのだが、日本のお米と違って炊くとパサパサになるので、あちこちから
「タイ米は不味い」という声が上がった。
しかしこれは「わが県のラーメンが一番旨い。」と言いきる人と同じで、実は
“旨い・不味い”の味覚は、子供の時からの“慣れ”の部分も大きく、タイ米
に至っては、何よりも本場とは炊き方そのものからして違うと聞いた。
知人のF氏は若い時は都会で暮らし、外国暮らしの経験もある人で、そのせい
か自分は舌が肥えていると言ってはばからず、時々「こんなのが美味しいか?」
「貧乏舌w」などと上から目線なことを言うため、ヒンシュクを買っていた。
もし馬鹿舌と言われたなら、毎日ご飯支度をする身としては心配になるが、私
は「貧乏舌で結構」と思う。食べ物や料理法に良し悪しがあるのは本当だし、
本物の食通の話は面白い。しかし料理や人を馬鹿にするのは思い上がりでしかな
いので、気を付けたい。
思い返すに、(数える程しか無いが)料亭の高級料理や巷には出回らないという
鮮度抜群の食べ物を頂いた時は、あまりの美味に驚いたものだ。しかし、自分
で分相応に節約・工夫した料理が美味しく出来た時の、ささやかな幸せも捨て
たものではないと思う。
いずれにせよ昔から言われるように“空腹こそ最高のスパイス”で、どれ程の
高級品でも、思い切りお腹を空かせた時に口にする食べ物の旨さには叶わない。