高3の時、社会科の授業でグループに分かれて社会見学をすることになり、
私達の班は裁判所に行くことになった。
先生の付き添いは無く、当日はバスに乗って皆ちょっとした遠足気分。
裁判所の人が案内してくれたのは裁判の傍聴席で、他には誰もおらず
私達は勝手に、これから建物の中を案内されるものだと思って待っていた。
しかし10分程して始まったのは、何と本物の裁判だった。
ドアが開けられて入って来たのは、まだ30代とおぼしき男性で、罪状は
『土管暮らしの極貧生活により、妻と赤ん坊を殺害。』
裁判の内容はよく覚えていない。確か判決は出てなかった筈。
来た時とは一変して、学校に帰り着くまで誰一人 口を開かなかった。
事件の内容がショックだったのと、私ら学生が野次馬のように並んで見学して
しまったことを、ずっと辛い表情で俯いていた犯人に申し訳なく思っていた。
2009年、「国民の健全な社会常識を反映させるため」に、日本にも裁判員制度
が導入された。しかし7割ほどの人が、辞退してるそうだ。(理由は様々)
高齢でも引き受ける方はおられるが、私も、考えるほど無理だと感じる。
凶悪犯罪を対象としたこの制度、死刑判決が出ることもある。
もし私が裁判員だったら、死刑に同意したことを後悔しないだろうか。
悲惨な証拠写真や犯人の具体的な説明も、トラウマになりそうだ。
あと、裁判員制度で出た判決(死刑含む)が、高裁で減刑されることも珍しくない
そうで、「何の為の裁判員制度だろう」という意見もある。
ただ、身内が選ばれても反対はしない。本人の“覚悟”は確認すると思うが。