ほたるBBの 絵と 本と 雑感日記

60代後半に再開したお絵描きと、読書の備忘録。考えさせられたことなども綴ります。

収容所から来た遺書 (辺見じゅん) 文芸春秋

[内容]

シベリア捕虜収容所の過酷な生活と、そこで結成された句会の友情の記録。

                      ノンフィクション賞受賞

 [感想]

第二次世界大戦直後に、推定57万5千人がソ連軍の捕虜となって過酷な労働

を強いられ、食事もピンハネされて約1割の人が栄養失調と過労で死んだ。

 

収容所ではソ連側の「日本新聞」などを通して、旧日本軍秩序の解体とマルク

ス・レーニン主義の学習が始まり、この時「反動」として格好の標的とされた

のは、意外にも戦前からの社会主義者マルキシズムの大学卒のインテリ達だ

ったという。

 

後に遺書を書いた山本氏は、満鉄と特務機関にいた経歴から「戦犯」とされた

が、過酷な収容所生活の中で俳句サークルを立ち上げ、帰国を諦めず仲間を励

まし続けた。

 

しかし皆が順番に日本に帰国していく中、彼は癌に侵されて1954年には収容所

で死亡。その時仲間たちは彼から託された長い遺書を、ソ連軍の徹底した監視網

から逃れる為、それぞれ分担を決めて懸命に暗記して持ち帰った。

 

その後12年の間に6通の遺書が家族の元に届けられ、7通目が届けられたのは、

彼の死後33年目だったという。

 

帰還後、8年間に及ぶシベリア抑留者たちの名簿作りを始めた人達がいて、全て

記憶に頼っての作業だったが、1682名の残留者名簿と500名を超える死亡者リス

トを完成させている。彼らはどんな思いで取り組んだのか、どれ程大変な作業だ

ったのか…読み進むのが辛い本だが、知って良かったと思う。

 

収容所内で皆のペットとなっていた犬のクロが、氷の海に飛び込んで帰還船を追い

かけ、それを船長がエンジンを止めて助けさせた場面には、涙があふれた。