「内容」
吉田清治が韓国に慰安婦の「謝罪碑」を建てた経緯と、その碑を長男が「慰霊碑」
と書き換えるまでのルポ。
「感想」
事の発端は、S58年に吉田清治が韓国に従軍慰安婦の“謝罪碑”を建立したことで、
著者のインタビューによって、息子の目から見た吉田清治が語られ、又、著者が独自
に調べあげた事実が書かれている。
実際に慰霊碑を書き換えたのは、吉田清治の長男からの依頼を受けた奥茂治氏で、
2017年3月に元の碑文の上に 「慰霊碑 日本国 福岡県 吉田雄兎 」と韓国語
で記した別の碑を貼り付けている。(雄兎は清治の本名)
※奥氏はこの行為で韓国に留め置かれ、7か月後に執行猶予の判決が出て帰国。
吉田清治を利用したと言われる政党と、韓国・北朝鮮、そして莫大な賠償金を引き
出そうとする組織的な勢力の行動に関しての記事は、驚きの連続だった。
吉田証言に基づいて慰安婦問題を喚起した朝日新聞が、彼の証言を「虚偽」と判断
し、H26年に記事の一部を撤回した。だが日本と韓国の対立は、むしろ激化している。
現代史家の秦 郁彦氏が、吉田清治と電話で話した内容も記されている。
「私にもプライドはあるし、85歳にもなって今更…このままにしておきましょう。」
吉田清治は自分の所業が招いた結果の大きさと、わが子をこれ程まで苦しめたことを、
どこまで理解していたのだろう。 明かされていない事実があるのでは?とも言われて
いるが、本人が亡くなっているので、真相は謎に包まれたままだ。
最後に長男が語った「私はこの謝罪碑の問題が解決すれば、それで心配事が無くな
ります。今回の事が 終われば、私のことは読者の皆さんは忘れてくれる。これで忘
れてほしいのです。」の言葉が重い。