ほたるBBの 絵と 本と 雑感日記

60代後半に再開したお絵描きと、読書の備忘録。考えさせられたことなども綴ります。

“決めつけ”を反省した夢

以前霊能力のあるBさんに、私が体外離脱した時に見た女性と男の子を描こうか

と思っている…と話したところ「そういう特別な思い入れのある絵は残さない方

がいいですよ。」と、止められた。

 

実はもう一つ、以前見た“夢”の絵も描きたいと思っていたのだが、これにもあ

る種の思い入れがあったので描くのはやめ、このブログに書くことにした。

 

3カ月前に“リアルさが際立って少しゾッとした夢”のことを書いたが、今回夢に

出てきたのはその時にも少し触れた、暗闇の断崖絶壁と足元に広がる深くて暗い

海だった。

 

崖の縁には人がやっと通れるくらいの細道と、見上げるほどの岩壁が続いており、

私はそこを通らなければいけないのだが、恐ろしくて尻込みしていたら、薄ぼん

やりと7~8人の男達が岩壁を背にして立っているのが見えてきた。

 

しかし最初は地面に立っているように見えたが、彼らは50cmくらい浮いていて、

よく見るとこの世の者ではなく全員死装束姿だった。

髪は丁髷(ちょんまげ)をおろした“ざんばら”で、目は閉じている。

 

私は恐ろしさに立ちすくみ、その光景を上から眺めている場面に切り替わったと

ころで目が覚めた。私は布団に横になったまますぐに、夢の中で恐怖と同時に感

じた彼らの“魂の本質”について思いを巡らせた。

 

彼らは戦に敗れた落ち武者で、元は身分の高い人達だった。

それ迄私は武人を「只の人殺しとは違うが、しかし…。」と、どこか批判的な目で

見ていた。しかし、本物の武士というのは(少なくとも夢の中の彼らは)、テロリ

ストと言われる一部の人々や独裁者などとは全く違った。

 

中でも武将は仁愛と正義の心を持ち、常人とはかけ離れた器の持ち主のようだった。

こんな具合で、初めはただ恐ろしいだけだったが、畏敬の念が湧いてきた。

「落ち武者は薄の穂にも怖ず」という言葉があるが、皆が皆そうだったわけではな

いようだ。尤も夢に出て来た彼らは、稀な部類なのかも知れないが…。

“たかが夢、されど夢”  たまにこうして思いもよらない形で気付かされることが

あるので、夢は侮れないと思っている。

玉ねぎ(色鉛筆・パステル画)

 

(我が家の邪道カレー)

定番の野菜以外にも、根菜、キノコ類、葉物他、何でも

入れちゃいます。あと、バナナ、リンゴ、豆腐なども。

 

30分程煮込んで冷ました後、8割ペーストにしてから

カレールーとスパイスを入れて煮、トロっとしたら完成。

(個々の野菜の味と香りは殆ど消えます)

 

冷めたら何食分かに小分けして冷凍し、

じゃが芋と肉だけは食べる直前に調理して加えます。

昔は色々なカレーに挑戦したけど、今はこれ一択です (^^)。

読書感想『光の魂たち動物編』(森井啓二)

[内容]

地球上の動植物が置かれている状況の解説と、全ての生き物が共存共栄する

世界を実現し、人として魂を成長させるためには何をすべきかを教示。

副題『人の霊性進化を助ける動物たち』

[感想]

著者は獣医で、クリヤヨギ(ヨガ)。

 

本書は、感動的なエピソード、興味深い話、知っておくべきこと等、考えさせ

られることの多い良書で、出来れば直接手に取って読んでほしいと思う。

 

ただ、読むには“覚悟”が必要かもしれない。動物の可哀そうな話についてはある

程度知っているつもりの私でも、人間の身勝手さに胸が張り裂けそうな気持ちに

なった話が幾つかあったので…。(この感想文にその内容は書いていません。)

 

本書は次の5つに分けられ、其々動植物の様々なエピソードが紹介されている。

 

・繋がりあう命      … 「『ゾウに囁く人』の死と弔問客たち」 他

・沈黙を守る命たち    … 「ライオン狩りのための繁殖」 他

・命をいただくということ … 「豚さん編」 他

・自然界に心を寄せる   … 「薬草と話す動物たち」 他

・拡がる光、霊性進化への道 …「命をかけてゴリラを守る人たち」 他

 

著者のブログ『ひかたま(光の魂たち)』を読むと、幾つかの不思議な体験をして

いる人のようで、仏教の視点からの話も多い。

以下に、本書から示唆に富む言葉を3つ抜粋。

 

現実を知ったら、今起きてることに対して漠然としたことや理想ばかりを考える

 のではなく、まずは今の自分ができることを確実に行うことが最も大切です。」

 

すべてのものに対する愛、思いやり、奉仕、寛容などの霊的美徳は、輪廻を超え

 て持ち越せる魂の財産となります。

 

人が霊性を高め、普遍意識に到達したいのであれば、その前提として『全ての

 生物に敬意を払い、慈しむ心を育み、大切にすること』は絶対条件なのです。

 

ちなみに獣医は皆、著者のようにどんな命も差別しないかというと、そんなことは

無く、実際私も「当院はノラ猫の診療はしません。」と断られたことがあるので、本

書はそういう意味でも驚きの連続だった。

死んだふり

昨年、飼猫のヤムチャがまだ元気だった時のこと。中庭に敷かれた板をじーっ

と見つめていたので、何か居るのかと三男が調べたところ、板の隙間から顔を出

した蛇が大きな口を開けて死んでいるのを見つけた。

しかし、実はそれは擬死で、よそ見をしてる隙にどこかへ逃げて行ったという。

※擬死= 生き残る為に死んだふりをすること。擬死をする生き物は多い。

       

話は飛ぶが、人は年齢に関係なく「結果を残せなかった」「主流派から外れて冷

や飯組に落ちた」「大きな失敗をしてしまった」…など、様々な理由で「終わった

(詰んだ)」と心折れる状況に追い込まれることがある。

 

しかし落ち込んでいるだけでは、何も変わらない。周りが「あいつは終わった」

と思うのなら、悔しいけど開き直って死んだふりをして、黙々と必要な事を積み

上げていくことだ。自然界の生物の擬死も、正に生き残る為の策なのだから。

 

それを継続させるための基本は、ありきたりだが十分な睡眠と、散歩などで体を

動かすことだという。ネットを見ると、その他にも専門家が色々なアドバイス

してくれている。


ちなみに1人静かに“内観”するのは、落ち込んでいる時にすると狭い所を低迷す

るだけになりがちなので、私はそういう時はむしろ外に出て何か行動するように

していた。

 

以下は私が二十歳の時の小さな体験だ。

就職して数か月後、同期入社した女性達の配属場所が決まった時に、1人だけ雑用

係のような立場になった人が居た。彼女が劣っていたというわけではなく、お昼休

みには彼女も一緒に、喋って笑って楽しく過ごしていた。

 

それから1年程経ったある日、朝礼の時に係長から彼女の配置換えの通知があった。

当時はパソコンは勿論ワープロさえ無い時代だったのだが、彼女はいつの間にか

夜間のタイピスト養成教室に通って、タイプライターの資格を取っていたのだ。

 

私達ランチ仲間は、彼女がその事をひと言も話さずにいた事に、小さなショックを

受けた。中には「抜け駆けした」などと言う人もおり、私も「皆で習い事の話もし

てたのに、どうして隠してたんだろう。」と思った。

 

でもその時に初めて気付いた。隠すも何も彼女には私達に報告する義務など無く、

同期はライバルでもあるということ。いつまでも“女の子”気分でいてはいけないと

いうこと。そして、人は順風満帆よりも悔しい経験をした人の方が、逞しく成長

するということを。

カルガモの親子(色鉛筆・パステル画)

近所の小川でカルガモの迷子雛が、大人のカモからしつこく

追い回され、頭を突かれていました。(殺すこともあるとか)

 

人間は自然界の掟に介入してはいけないと言うが、ここは

ジャングルではない。急いで家にタモ網を取りに帰り、最悪

雛をすくい上げることも視野にいれて救助に挑戦。

 

約10分後に、家族と合流することが出来てホッとしていた

ら、目を丸くして見ていたご近所さんに、「ほたるさんらし

いわ~。」と何故か爆笑されてしまいました(笑)。

読書感想『英語化は愚民化』(施 光恒)

[内容]

英語を日本の標準語にすると何が駄目になるのか、世界の歴史と現状を多くの

例と識者の意見を挙げながら解説。副題『英語教育改革で自ら“後進国”に』

[感想]

著者は政治学者。九州大学大学院教授。

 

何年か前に楽天が英語の社内公用語化を宣言し、その後同じような会社が続出。

学校の英語教育も大幅に改定された。全ては未来を見据えての決定だというが、

一介の老人にすぎない私ですら、この流れにはどこか選民意識に近い排他的な

ものが潜んでいるのが感じられ、この国の将来が心配になった。

 

私の、その不安の正体を解明してくれたのが本書で、特に下記は重要だと思う。

(英語化は)「ごく一握りのエリートが経済的にも知的にも特権を握り、それ以外

の大多数の人々は、社会の中心から締め出され、自信を喪失してしまう世界にほ

かならない。」

 

著者自身は語学に堪能で、英語教育を否定するものではなく、とどのつまりこれ

らの改革の目的は、グローバル企業が日本で商売しやすくするためであると警鐘

を鳴らしている。

 

中世ヨーロッパは格差社会で、「ヨーロッパの共通語であるラテン語を使いこなし

て知的活動を行い、政治的・経済的な権力も保持する一部のエリート達」と、

「土着語(母語)で会話をし、聖書さえ自分では読めず、身の回りのことだけを考え

て暮らすその他大勢の庶民」に二分されていた。

 

しかし16世紀前半に起きた宗教改革で、ドイツを始め各国で聖書がその国の言葉に

翻訳されたことにより、ラテン語を理解する人達と、無知無学だった庶民の格差が大

幅に縮小されていき近代化に拍車がかかったという。

 

著者は、日本社会の良さの一つとして“知的レベルの高い中間層の存在”を挙げ、

今の日本は正に上記の時代に逆行しようとしており、そうなれば英語を理解しない

人達は社会のあらゆる面で不利益を被ることになり、中間層は没落すると警告。

 

以下に本書の一部を要約。

 

・明治以来日本は、欧米の言語を翻訳して、日本語で世界水準の思考を可能にし

 た。高度に知的な作業を行う環境が整っていたからこそ、製造業も発展し得た。

 

・アフリカやインドでは高度な知識は英語で学ぶしかなく、大多数の人は国を動

 かすことに参加できず、「格差」社会になっている。

 

・英語偏重の教育改革は、世界の「英語支配の序列構造」の中で、日本が非常に

 不利な立場(搾取される立場)に置かれるのは必至。

 

・英語を公用語にした会社は、仕事の能力以前に言語でふるいにかけられる。

 

・大学の授業が英語化されると、学生たちは専門科目だけでなく、英語を身に付

 けるために莫大な時間と動力が費やされ、潜在能力を発揮できるに至らない。

 

この他、「スーパーグローバル大学創成支援制度」の始動、地域的に限定した特区

の設定、TOEFLの利用等々、英語の公用化に関する様々な解説が続く。

 

しかし、英語は既に世界の共通語となっている。この現実を見ると、果たしてこの

流れを止めることは出来るのだろうか。結果が出る頃には私(75才)は生きていない

と思うが、子や孫の世代のことを考えると他人ごととは思えない。

 

空き巣に入られない為に

私が高校生の時のこと。夜8時頃家族全員が居間に居る時に、路地裏に面した

部屋の窓から泥棒が侵入して、一部屋だけグチャグチャに荒らしていった。

 

通報でやって来た警察の人が、畳にくっきり残された靴跡を見て、もう1人の

人に「あ~、こりゃあケンちゃんだな。」と言った。その様子を眺めていた私は、

部屋の散らかり具合よりも、そちらの方に驚いた。

 

後日母が、捕まったのは中学生の男の子で、空き巣の常習犯だと教えてくれた。

※住人が在宅中の窃盗は“居空き”と言われる。

 

泥棒の被害で一番怖いのは、犯人と鉢合わせすることだ。驚いて逃走してくれれ

ばいいが、開き直った犯人に危害を加えられることも珍しくない。

 

もう一つ空き巣で心配なのは、留守番のペットの安全だ。昔歌手の松任谷由実

んの飼い犬が襲撃された時は本当に可哀そうだったし、ゾッとした。

犬が防犯に役立つことは多いようだが、犬種や性格にもよるそうで、何よりも犯

人が残忍な人間だったら襲撃を防ぐのは難しい。

 

空き巣の侵入経路としては、鍵のかかっていない玄関や窓が多いので、戸締りを

しっかりすること。2階の窓やベランダからの侵入は特に多いそうなので、庭に

足場になるような物は置かないことも大事だという。

 

あと集合住宅の一人暮らしの女性は他の目的でも狙われやすいので、戸締りは勿論

のこと、表札は名字だけにするなどの工夫も必要だとか。

 

ところで、空き巣の半分は下見をしているそうで、留守にしている時間帯などを

表札やメーターボックスなどの目立たない箇所に、チョークなどでマーキングして

いくことも多いそうだ。

 

防犯カメラやセンサーライトなど、防犯対策として効果があるものは色々あり、

そこまで用意出来ない場合でも、「窓の補助錠」「防犯ブザー」「ピッキングが出

来ない鍵」など、小さくとも役立つものは沢山あるので、検討してみるのも良い

かもしれない。

 

うちは全部ペアガラスなので、それも少しは役立っているかと思ったが、本格的

に防犯したい場合は“防犯ペアガラス”を使った方が良いそうだ。

 

いずれにせよ、戸締りをしっかりするのが基本中の基本。私は数年前から、外出時

と就寝前には声を出して指差し確認をするのを習慣にしている。

「ガス、よし。」「ストーブ、よし。」「カギ、よし。」(ペットの確認も忘れずに)